<賃貸住宅への入居・退去の通年化>
Ⅰ【 賃貸住宅への入居・退去の通年化 】
2024年2・3月期の仙台市内の賃貸市況は、コロナ5類移行後、初の繁忙へと動き出した。
コロナ禍前の5年前と比較したところ、単身者の社会人のニーズが回復の傾向へと少し優勢となっているものの、退去後のリフォーム費用は4年間で15%上昇、建築費・設備代の高騰、大工不足、人件費増加※1及び固定資産税の賃料への転嫁は、新築住宅(家賃相場が上昇しての募集となっている)を除き、他の経年物件への波及は進んでいない様です。
また、学生の部屋探しは、その学校の周辺で、かつ家賃がリーズナブルな(賃料の安い)物件が受け入れられている。
一方、東京の23区のDI=58.6※2と家賃相場が上昇していますが、市場は活性化しています。
賃貸市場への金利上昇の影響が許容範囲内で推移するとするならば、これから東京圏へと波及して行き、1年半~2年後位に主要な地方都市へと拡大する可能性があるのか?今後の動向に注視して行きます。
また、賃貸市場の山はこれまでの2・3月に集中するとする傾向がありましたが、コロナ禍後は、閑散期(4~8月)と言われた時期でも社会人を中心に動いています。
これまでの経験から言えるのは、6月に結婚による部屋探し、7月は税務署や銀行勤務らの転勤異動者が主でしたが、近時はそれ以外の方々も動いています。詳細は不明ですが、これまでのリモート勤務から通常勤務へと変化して来たのかも知れません。いずれにしても、日々の賃貸物件探しが続いています。
<注釈>
※1 建築費や設備代、人手不足による労務単価の引き上げが相次いでいる。
国土交通省の建設業の担い手確保に向けた公共工事の労務単価の引き上げ、及び建材・設備27社によると、2年前のウクライナ危機及びウッドショック等で、フローリング、トイレ、ユニットバス、壁紙、塗料等の値上げがジワジワと続いて来ている。その主要な要因に円安による輸入原油価格の為替変動の影響が大きい。(最近の建設業を巡る状況 国土交通省等 参照)
※2 (特に東京23区はファミリー層を中心としての家賃上昇)
DI(ディーアイ)とは、Diffusion Index(ディフュージョン インデックス)の略。
DIは0%から100%の間で変動し、目安として継続的に50%を超えれば「景気が上向き」、50%を下回れば「景気が下向き」と変化の方向性を示す指標に使われます。様々な「良い」・「悪い」等のアンケート調査結果をまとめる方法の一つです。
Ⅱ【 賃貸仲介業者から見える個人消費の脆弱性 】
会社契約の社会人を除き、個人契約者は賢い人が多い様だ。
具体的には、家賃を節約するため結婚を前提とする同棲の申し込みも多い。
背景としては、過去30年間の日本の経済成長が実感出来ていない。近隣の国々からITやEV自動車・航空産業等を中心に追い抜かれている。日本は、この30年の間に、消費税の増税、社会保険料の段階的な引き上げ、及び介護保険料の創設などで税負担が増す一方、働く人の賃金上昇を抑える目的で、契約社員やアルバイト、フリーター等を増やして企業の利益を生み出して来た結果、国民が暮らしに使えるお金をもどんどん減ってしまい、さらには近時の物価高で多くの日本人が貧困化へと下落して来ている様に思えてなりません。
この様な背景が賃貸住宅の家賃にも色濃くその影を落として来ている。
例えば、進学時と同時に奨学金の窓口(事務職員室)の一角に、簡単なドアで仕切られた部屋に2人(友人)で入って行く姿が日常的に見られている。
卒業しても約400万円前後の借金を背負って社会人となって、毎月その支払いに追われている。
この様な若者が多くいる。
一般論者として、「夢や希望を持って将来への展望は無限大です!!」等と言われても、現実に直面している日々の生活に追われている状況に鑑みるまでもなく、空論に映ってしまっている様です。
国の税金の使い方として過去30年を検証して、改めて生きた税金の使い途を洗い出し、若者が希望を持てる施策へ回し、人を育てることで日本経済の好循環へ軸足を移すことです。
従って、地方に於ける賃料上昇は、もう少々先のその収益物件所在地の個人消費の指標をしっかり確認するなどをしてから動き出すことが肝要な点であると思料している。
Ⅲ【 未踏ルートの挑戦 山岳カメラマンの滑落 】
1.先月(7月30日)、登山家の山岳カメラマン 平出和也さんと中島健郎さんの二人が、パキスタンK2(カラコルム山脈にある標高8611mで世界で危険な山と呼ばれている、世界第2位の高さの山)、富士山の約3倍近くの山で約600m滑落したとのニュースに接した。
同人は、1991年に創設された「登山界のアカデミー賞」と言われている「ピオレドール賞に三度受賞された登山家です。
ピオレドール賞は登攀(とうはん…山などの高所によじ登るの意)への未踏ルートや革新性へ山岳カメラマン(登山家)として世界の高峰へ挑んだことが評価されての受賞者です。
2.特に「未踏ルート」にこだわって山頂を目指している。必然的にそこには危険が伴いますので、事前の入念な準備をして登頂している。しかし、そこには人類の未踏ルートの一言に尽きます。
3.小生も高校2年次の夏にI先生に引率されて仙台一高の井戸沢小屋へ1泊し、翌日に杉ヶ峯経由で熊野岳山頂へ登頂した直後に、天候が急変し山霧で30cm先も見えなくなって、先生からその場に佇んで霧が晴れるのを待ったことがあります。30分位で嘘の様に晴れ青空の下、下山した経験を想い出した。と同時にほぼ同じ場所で1918年10月に仙台二高生と教員の計9名が遭難死亡した碑文が建ててあった記憶があります。
痛ましい事故を想い出し、当時の事が脳裏をよぎりました。
4.勿論、平出さんや中島さんらが登頂する山、雪で覆われ凍り付いた垂直に近い岩肌に引っ掛けて登る山と、蔵王山のほぼ平坦な山とはそもそも次元が違いますが、山へ初めて登ったときに実際に体験したことなので本当に深刻でした。
5.その後も登山を続けていました。蔵王山の杉ヶ峯近くに高山植物の花(コバイケイソウ、チングルマ等々)が一斉に咲きます。近くの石に腰を降ろしてお花畑を見ながら塩おにぎりを食べるのは特別である。
山へ登った人だけが味わえる至福の時でもある。
小生の今は、テレビや雑誌(平出さんと中島さんの写真)を拝読していただけにビックリです。
一日も早い救出を願っております。
以上