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傳橘逸勢 伊都内親王願文 昭和11年7月10日発行。発行者/吉岡貞雄、発行所/赤城出版社。承和9年8月13日(842年9月24日) 平安前期の漢字作品として最も有名。三者は三筆の一人、橘逸勢と伝えられる。「桓武天皇の皇女伊都内親王が山階寺(現興福寺)の東院西堂に香灯読経料を寄進した時の願文」
太平16年10月3日(西暦744年)聖武天皇光明皇后の御書。内容は、中国の三国時代、魏(ぎ)の夏侯玄(かこうげん)が戦国時代の将軍楽毅について、その王道にのっとった戦いぶりを説いた文章を臨書したもの。中国、東晋の王羲之(307-365)が書いたと伝えられる法帖(ほうじょう)。なお、光明皇后は(興福寺の創建者藤原不比等の娘でもあり母の橘夫人の一周忌のため「阿修羅像」を西金堂に建てた。)奈良、興福寺の「阿修羅像」にはファンクラブができるほど絶大な人気を誇っている。仏像の年齢は推定23歳!?