1)民法改正に基づき本年4月1日からこれまでの20歳から18歳で成年となります。
2002年4月1日まで生まれた人は、20歳の誕生日に成年に達します。2002年4月2日から2004年4月1日まで生まれた人たちは本年4月1日に一斉に成年に達することになります。2004年4月2日以降に生まれた人たちは、18歳の誕生日に成年に達します。
2)20歳から18歳に引き下げ「成年」と規定する他の法律※1(刑法の適用には慎重さが必須と考える。)も18歳に変更されることとなり、これまでの親権に服することなく1人で有効な契約を結ぶことができることとなります。
ただし、喫煙や飲酒などが可能となる年齢は、対象とならず20歳からのままです。
これに関連する女性の婚姻開始年齢の引き下げは
民法第731条
3)改正の背景は世界的な時代の流れが挙げられます。欧米の多くは18歳(イギリス、スコットランドでは16歳)となっています。実際にアメリカ及びフランス、ブラジル等から日本の高校への留学生として16歳で来日され、ホームステイを受け入れると、同じ年齢である日本人の16歳とでは体格や自己主張(夢や将来の目標等)として、自分の考え方をしっかり持っています。即ち留学生は特別だ!!と言えばそれまでですが、現に私が留学生と話しをすると、「留学は若いから自由に出来る一種の冒険の様なものです。そしてこの冒険を通して、日本の文化や語学を学び、将来は『国連や自国と日本との掛橋、外交官』になるための自身の夢実現に歩み出している。」と返答が来る。更に17歳となると大人の様に大きく変化します。日本人の同じ高校生が子供の様に歴然とした差が出ます。
この様に我々大人としてもその対応に留意しなければならない程全ての物の考え方が成長します。
4)ところで日本では成年年齢は明治9年以来20歳と定められて来ました。
(それ以前の江戸時代※2までの日本の成人(年)は男子が11歳~16歳になると「元服の儀式」が行われていた。)現在の日本人の平均寿命は、およそ83歳と言われているのと江戸時代の平均寿命31.7歳とを単純に比較すれば、相当の開きが生じるが江戸時代の成人が早いということの意味は理解が出来る。
5)話を元に戻して、改正後の成年・未成年の定義は、社会の基盤となる極めて重要なルールとなります。
不動産のアパート等の学生さんとの賃貸借契約につき、実務上の多くは来年からの対応となりますが万一、本年4月1日からの契約者が現れた場合、具体的な取り組みとして、①就労している方の問題は収入証明(給与)等の可処分所得で判断が可能ですが、②課題となるのは学生さんの場合です。弊社は18歳の学生さんとの賃貸借契約を締結するケースを考えて見ますと、学生さんの多くは原則として学問を学ぶためにアパート等を借りる訳ですので契約締結時点で、契約の当事者として「経済的な収入が無い」ことを、不動産会社や賃貸人(大家さん)も知っていて、賃貸借契約を結ぶことが出来るとする形式的には、当事者適格を有する法律の規定に該当します。
6)しかし、上記のとおり収入が無いことの補完としてこれまでの「未成年者の法定代理人親権者の同意による法律行為と同様の趣旨」の形を替えて、賃借人の親から別途賃貸借契約から生じる ①「経済的な負担の債務を引き受け並びに弁済する」とする内容の書類を作成することとして適切に改正民法と実務上の課題を解決しての業務に取り組んで参ります。なお、従来から対応している ②連帯保証人や、③連帯債務者を立てる、等につきましても具体的・個別的に判断して参ります。また、②や③は就労している人でも原則として適用することとしております。
※1 20歳未満から18歳未満へ対象年齢を引き下げられることとなった。
2022年3月31日までの場合、刑法上の18歳は少年に該り事件を起こすと家庭裁判所へ送られ、少年審判で事件の内容によっても異なりますが原則として少年院送致となりますが、2022年4月1日以降成人は検察庁へ送られ、起訴されると刑事事件として刑事審判を受け、実刑ならば刑務所で服役します。確かに少年法は大人の様に起訴猶予になる事件でも手続上は実は厳しすぎると単純に比較されて来た。
つまり形式論としてはそのとおりですが、昨日までの高校生などが含まれ18歳ですべてが大人として一律とする線引が課題でしょう。18歳という大人の入口のみで判断されてしまう恐れがある。あくまでも大人の社会への入口としての実態を踏まえての個別的な運用・適用が求められる。さらに根本的な理由は、「国家が民の行為を裁く」ということです。
※2 日本は江戸時代以前からの儀式として男子が「元服」(成人)すると烏帽子子と称し、幼名が改められ実名が定められ、月代(さかやき)を剃って前髪を落した。
現代の成人式の儀式のため女性になる綺麗な振袖の着物を着る様な点は、日本古来の前記の服装の変化をしながらも、成長を祝う通過儀礼の一つとしての文化が脈々と受け継がれている。
〈 私見 〉
筆者が法律を学んだ第一日目、刑法の第一人者の某先生法学者の開口一番に話されたのをいまでも回想されます。それは「どんなに少年法や刑法を厳しくしても犯罪の抑制にはなかなかなりにくい様だ。それよりも犯罪抑制になるのは、経済を良くするための社会全体の好循環の環境を生むことがとても大切です。加えて、全ての企業等でも「正しい意思決定が出来る高潔なリーダー」が多くなる社会が一番である。」と話された。
今日のどうにもならないことが多すぎる今となっては、虚無感を覚える人は筆者も含めて現状維持とする考え方の方が多数かも知れません。ましてコロナ禍などで綺麗事として一蹴されてしまう恐れが多すぎる様ですが、もう一度先生の言葉の意味を思慮して見たいと思っている。